登山家のアカデミー賞と言われ、優秀な登山家に贈られる国際的な賞に「ピオレドール賞」があります。これは技術レベルの高さ、登攀の革新性、登山に対する姿勢や美しさを評価するために1991年に創設されました。この賞を日本人で初めて受賞したのは平出和也氏です。なんと三回も受賞しています。彼が高く評価される理由は登頂の仕方にあります。彼は誰も登ったことがない「未踏ルート」にこだわって山頂を目指すのです。当然危険が伴いますが、入念な準備とシミュレーションを行い登頂を目指すそうです。前人未踏にこだわる姿勢を見習うべきだと感じます。
『現』とは現実や本心、正気などの意味で意識がはっきりしている状態を指します。「夢か現か幻か」などで使われます。「現を抜かす」とは意識がはっきりしていない状態であることから、正気を失うほどある物事に心を奪われるという意味で、「ギャンブルに現を抜かす」というように使われます。集中するという点ではよいのでしょうが、度が過ぎると困りものです。何事も適度な抑制力がなければ「過ぎたるは及ばざるがごとし」になります。
私の世代は結婚が当たり前、子育ては女性がするもの、また男の仕事の方が子育てよりずっと大変だという古い認識がこびりついている世代のため、なぜこのような施設や支援が必要なのか少々懐疑的でした。そのため虐待死は0歳児の割合が一番高いという話を聞いて、とても驚きました。ネグレクトなど育児放棄は母親の未熟さだとばかり思っていた自分の方が、昨今の時世に対する認識の未熟さに気づかされ、大いに反省しています。生まれ育った環境の違い、子育てをサポートする環境の激変に気づかされ、この活動に真摯に向かい合い、できる限りの支援をしようと決めました。今後はロータリー活動だけではなく、個人的にも物心両面で支援していきます。
ロータリークラブ会長として、今年7月より新規に取り組んでいるのが「赤ちゃん食堂」への財政的・人道的支援です。9月よりスタートし月2回開催しています。先日初めて参加して、会場準備や出迎え、離乳食準備や乳幼児の世話ヘルプなどを行いました。母親の産後うつやネグレクトなどを未然に防ぐために、一昨年より成田市を中心に特定NPO法人として活動を続けている Family Partner Chill さんの支援です。この団体の存在を知ったのは今年の2月でした。今まで当クラブが行ってきた支援先である海外事業は少し現実味がなく、本当に役立っているのかという疑念がありました。そこで自分が会長に就任する際に支援先を国内、しかも身近なところに視点を変えようと考えて、市内近郊のNPO法人を調べている最中に、巡り合えた団体です。見つけてすぐ、代表にメールで連絡を入れ、直接お会いする機会を作りました。そこで聞いた話とは…。To be continued.
橘は別名ヤマトタチバナやニッポンタチバナと呼ばれる、日本固有のミカン科の常緑樹です。平安時代には京都御所紫宸殿の庭に植えられ「右近の橘」と称され、また寺社にも多く植えられるなど古くから珍重されています。初夏に薫り高い白い花を咲かせ、秋には橙色の実を結びます。長生きや繁栄を象徴する縁起の良い木とされ、源氏や平家など多くの家紋の意匠に使われました。また500円硬貨の裏面「500」の数字の両サイドに添えられている植物も橘です。私も今回初めて知りました。
各国はオーバーツーリズムに対して「持続可能な観光」の在り方を模索し始めています。特に大きな問題となっているのは地域住民に対する不利益です。例えばスペインのバルセロナでは年間住民人口の5倍以上の観光客が訪れ、反観光デモまで起こっています。そこでよく行われている対策が、行政による観光客の制限です。民泊の禁止や観光地の一時的閉鎖を行っている国もあります。我が国では富士山の登山客を制限する方策として通行料と入場者数制限を山梨県で導入します。年間6千万人の観光客が訪れる京都では、「時間の分散、季節の分散、場所の分散」を導入し、観光地のキャパシティーを広げることで分散を実現しようとしています。今や官民一体となった対策が不可欠な状況となっています。
観光地では多くの観光客でにぎわっています。近年急激な観光客の増加による「オーバーツーリズム」の問題が世界的に顕在化しています。観光地にキャパシティー以上の観光客が押し寄せることを指しますが、具体的な問題としては、町中の人込みや交通渋滞、トイレの不足といったインフラの問題、騒音やごみの問題、環境破壊などと、それらを原因とした地域住民と観光客のトラブルが挙げられます。我が国では「観光公害」という意味で使うこともあります。ではこの問題に対して各国はどのように対応しているのでしょうか。To be continued.
医学、法律学、経済学、工学といった社会生活で実際に役立つ学問を『実学』と言います。明治以降の日本では一時期実用に値しないと排斥された学問もありました。例えば儒学や和学などです。また現在でも利益につながる手段は重宝されますが、それ以外は実用性の低いと括られ、重要視されない風潮があります。しかし学問の神髄は「役に立つか」という範疇ではなく、学んだことを活かす行動を起こせるかではないでしょうか。つまり本人次第です。知識の集積が学ぶことの目的ではなく、学んだことをどれだけ還元できるかを意識することが、『実学』につながると考えます。
SNSの弊害の一つで、いわゆる犯罪実行者の募集です。昔はこのような依頼は間接的な手紙等しかなく、敷居が高いものでしたが、今は簡単にSNS上で完結します。SNS上に仕事の内容を明らかにせず、高額な報酬の支払いを掲載して募集しています。「高額バイト」「即日入金」「書類を受け取るだけ」など一見好条件に見える求人広告のため、惹かれる人が後を絶ちませんが、結果的に強盗や詐欺といった犯罪に加担することとなります。首謀者は「使い捨てのコマ」を探していることに気づく必要があります。今も昔も過剰な好条件には裏があると考えるべきですね。
近代オリンピックの父と言われるクーベルタン男爵が言った言葉に「オリンピックで重要なことは勝つことではなく参加すること」がありますが、この言葉はイギリスのエルボット主教が礼拝に参加した選手に向けて述べた言葉で、これに感動したクーベルタン男爵は政府主催の晩餐会で、この言葉を引用してスピーチしたものです。この趣旨は「人生で大切なのは成功することより努力すること」というもので、オリンピックを通しての人間形成や出場するまでの過程の重要視していた彼の考えを表しています。確かに結果が重要視される昨今ですが、その過程にスポットを当ててみることの大切さを説いています。正に同感です。