NPS塾長、横山英樹によるブログです。
オークションやフリマなどが浸透して、中古品販売はかなり身近なものになっています。20歳以上の約4割がこうしたサイトやアプリの利用経験者であるそうです。買う側は中古品は新品より安いだけではなく、販売中止になっているような入手困難な商品も低入れることがで切るという魅力があります。一方売る側も使用しなくなったものを金銭に代えられると同時に、物を活かすことができます。最近では官公庁が特殊車両や公有財産を売却したり、自治体がフリマアプリを活用するなど、再利用の機会を提供しているので、再利用のすそ野も大きく広がっています。
蹴鞠h約1400年前に、飛鳥・奈良時代に中国から伝わった球技の一種です。最初は貴族から、後に武家や神官、民衆まで広く親しまれていきました。現代でも日本各地の神社で年中行事として行われています。蹴鞠は勝敗を争うものではなく、蹴るときの姿の優美さや、音の美しさを楽しむもので、数人が円陣となって、その毬を地面に落さないように蹴り合います。従って相手が蹴りやすいように毬を送るのが重要になります。「雅」な球技です。
私は歴史が大好きなので多くの武将の生きざまを書から学び、実生活や会社経営に生かしています。初回は織田信長の父である「織田信秀」です。彼は天皇や朝廷に多額の献金をしたり、著名な歌人や公家を接待し、その教養や礼法を学んだ武将として知られています。しかし彼は自分の後継者である信長に対する教育、つまり帝王学を全く学ばせず、信長のやりたいことだけを学ばせたのです。息子の時代には危機の時代になると喝破し、危機に対してそれを乗り切れる「自信」を与えさせるために、好きなことを極めさせたと解釈されています。結果信長は挫折感を味わったことがない、劣等感のない人物となり、今川義元を倒し、天下布武の道を歩んでいけたのでしょう。ただこのような人は一般人の苦しみや悩みを推し量ることは難しく、信長に疲れ切った明智光秀に謀反を起こされます。倒された信長はその理由がわからなかったと推測します。優秀な国人の育成には成功した信秀ですが、信長の暴走を止める人物までは想定していなかったのでしょう。この点は伊達輝宗とは対照的です。続きは次回へ‥。
カラオケ店を全国展開する「まねきねこ」が、コロナ禍のさなかでも新規出店を続け、成熟市場であるにもかかわらず、ビッグエコーやカラオケ館に次ぐ三位から、20年度に首位に躍り出ています。24年7月時点で全国で659店舗です。「1人カラオケ」の火付け役となったり、ドリンク持込可やドリンクバーの設置をしたり、、最近ではライブ映像の鑑賞や人気アニメとのコラボ、歌う様子をアバターに変換して撮影するなど従来にない遊び方を提案し続けています。コロナ禍以前には何度か利用したことがありますが、最近はご無沙汰していますので、忘年会シーズンには復活させるつもりです。
あるエピソードです。「エレベーターの待ち時間が長い」というクレームが利用者から入り、その対応に苦慮していたところ、ある若いアシスタントがある提案をしました。それは「各階のエレベーターの前に大きな鏡を設置したらどうか」というものでした。半信半疑で設置したところクレームがなくなったそうです。理由は簡単で、待つ間に鏡を見て身だしなみを整えたり、鏡越しに他の人を見たりしたため、待ち時間を短く感じたからです。待ち時間は全く短くなっていないのに、人の心理とは面白いものですね。
仕事は本来自分で創意工夫して、楽しく効率的に行うものだと思いますが、仕事を大変で辛いものだと感じ、自分には難しいとか無理だとバーを引いて、締切りすら守ることもできない。残念ながらこのような人少なくありません。こうなってしまうと仕事ではなく、困難で辛い作業と化してしまいます。たとえ判で押したような仕事であっても、創意工夫をすることで仕事の面白みを感じることができるはずです。作業ではつまらなすぎて精神的にも厳しいです。作業ではなく、仕事をしたいものです。
弊社は今日で30周年を迎えることができました。30年という長きにわたって会社が存続で来たのは、ひとえに社員など人に恵まれた事であり、また周りと家族の支えに加えて、創業前に亡くなった父が見守ってくれたことに尽きると感じています。会社の生存率は規模により大きく異なりますが、売上が1億円未満で従業員が4人以上の事業所まで含めると、1年経過後の生存率は73%、5年後が42%、10年後は26%、30年後では10%程度という数値もあります。人生の半分近くを弊社の経営に携わってきたことに、長いようであっという間だったと述懐しています。でもこれで終わったわけではありません。明日から32年目がスタートしますので、心機一転経営に携わっていきます。
日本には現存する世界最古の木造建築である法隆寺をはじめ、各地に多くの五重塔が建立されてます。地震に強い建物のようで、「心柱」という真ん中の大きな柱を中心に揺れを吸収する柔構造で建てられているため、地震で倒れた事例はほとんどないそうです。法隆寺のほかに千年以上の歴史を持つ室生寺や醍醐寺は有名です。また東寺や興福寺など京都や奈良に多く現存しています。昨日旅の効用について綴りましたが、40代の時に京阪神を訪ねた際に見学した経験があります。歴史を感じさせる荘厳な建築物です。
「何事が起こっても落ち着き払って、少しも動じないさま」を言います。こうありたいと思っていますが、青天の霹靂的な出来事には、つい驚き冷静さを保てなくなるとこもあります。それなりに年輪を重ねたことで、少々のことでは動揺することは少なくなりましたが、最近世代が違う人の行動や言動には泰然自若ではいられないことがままあります。生まれ育った環境があまりに違うので、考え方も異なるのは致し方ありませんが、どの時代にも変わらない常識があるはずです。しかしそれを逸脱する行為がまん延しているように感じます。ネグレクトなど児童虐待、ホストによる売掛金回収問題、ネットによる中傷被害など、以前には考えられなかった問題行動に憤慨し、冷静になれない自分がいます。
手紙の文面の一つに「ご自愛ください」があります。この自愛には自分の言行を慎む、自重するという意味もあります。中国の『老子』第72章に「自愛不自貴」という説があり、「自らを愛しても自らを貴ばず」と書き下すことができます。自分の感覚は大切ですが、それだけでは客観性を欠くので、絶対視してはいけないという意味です。確かに感は大切ですが、それだけではなく具体的な数値も時により必要です。常にそうありたいものです。
弓矢などについている羽のことをさします。タカ、ワシ、キジなどの鳥の羽が使われました。これが文様化され、この文様のことを「矢羽文様」と呼びます。矢は武士にとって大切な武具であるため、武を尊ぶ気持ちを象徴した矢羽文様は衣装や家紋によく使われました。また江戸時代には「一度放った矢は戻らない」ことから、結婚の際の縁起物として矢絣(やがすり)といって、矢羽文様の絣織物の着物を持たせる風習が生まれています。明治時代には女学校で袴スタイルが大人気となり、矢絣柄が好まれるようになります。そして現在では卒業式に矢羽根文様の袴姿の女子学生が数多く見られます。
最近年末年始はほとんど家にいます。すると三が日のいずれかに娘夫婦と息子が挨拶にきて、皆で夕食を我が家でとるのが常になりつつあります。準備する妻が大変なので、申し訳ない限りですが、孫や子供たちと食事をするのは年2,3回しかありませんので、目をつむってもらってます。娘婿も息子もそうお酒が強くないので、私としては酒相手として少々物足りませんが、彼らはその分たらふく食べて帰ります。これから孫も成長していくので、いつまで訪ねてくれるやら。とりあえず今年も楽しくお開きとなりました。
正月の風物詩です。凧あげは平安時代に伝わり、当初は貴族の遊びだったものが、その後戦においては狼煙代わりに用いられました。江戸時代になると庶民に広がり、またさまざまな意味や役割を持つようになりました。例えば「立秋の季に空を向くは養生のひとつ」と言われ、暦の上で1年の始まりを表す立春に空高く上がった凧を見上げ、健康を祈願していました。このほか「祝凧」「連凧」「けんか凧」「大凧」ンなど様々な凧も存在します。大人になってからは一度も凧あげをしていませんでしたので、今年は挑戦することにします。
新年あけましておめでとうございます。最近は歳のせいか床に早く入るため、大晦日は24時前には寝てしまいます。したがって最近「初日の出」を見たのは15年ほど前に倫理法人会の元旦モーニングセミナーを行った際、成田山新勝寺の境内で6時40分頃に拝んだ記憶があるだけです。初めてでしたが、何とも言えない清々しい気持になったことを覚えています。ただ元旦三が日の成田山新勝寺は人混みが半端なくすごいので、なかなか行く気にもならず今日に至っています。
今年は本当に暑い一年でした。5月には真夏日となり、11月まで続きました。春と秋が短く感じられ、この異常気象のため、海温上昇による漁獲量の変化、高温による農作物への影響も大きい年でした。昨夏が過去一番暑かったのですが、今年はそれをはるかに凌駕したので、日本は熱帯化に向かっているのかもしれません。災害や気候だけではなく、国内では「闇バイト」に加え、様々な詐欺事件も発生しました。与党が大敗し少数与党に転落し、綱渡り的政権運営となっています。一方国外ではウクライナ紛争、イスラエル紛争に終結のめどが立たず、シリアのアサド政権崩壊も起きるなど、平和には程遠い状況が続いています。また米国ではトランプ氏が再選され、お隣の韓国では大統領の弾劾訴追案が可決され、ともに今後の政情不安が懸念されています。果たして来年はどのような年になるのでしょうか…。
今年もいろいろなことがありました。自然災害では元旦早々の能登半島地震は甚大な被害を与えました。特に石川県では豪雨災害も起き、多くの方がお亡くなりになりました。地震では8月に発生した南海トラフ地震臨時情報の発出にもつながったマグニチュード7.1の宮崎県日向灘地震もありました。台風も多く発生し、岩手県や鹿児島県に大きな被害をもたらしています。災害大国ですから、発生することは仕方ありませんが、事前対応や災害発生時の行動など見直す点はあると思います。明日は我が身ですので…。
私の世代は20代で喫煙率90%以上で、周りも吸うから自分も吸う、喫煙が一種大人のステイタスであるような時代でした。しかし健康のためにやめた方がいいとは理解していました。禁煙したのは25歳の時で、自分のプライドの高さを利用して、友人達の前で「今から禁煙する」と宣言し、持っていたライターとたばこを友人たちに渡しました。皆から「どうせできないからやめれば」とさんざん言われ、「ほら吸いなよ」とたばこを目の前に差し出されたり、「美味しいよ」と煙を吐きかけられるなど、大いに邪魔されましたが、これも狙いの一つでした。友人達から「やっぱりやめられなかったな」と言われまいと、懸命に我慢したのです。禁煙して20年は喫煙する夢をみて大いに汗をかきましたが、今はそのようなこともなく、あれからもう40年も経つのだと感慨にふける自分がいます。年の瀬ですね。
例年年末が近くなると名料理店や老舗が作るおせち料理の販売広告が目立ちます。一昨年注文して、子供たちも交えて食しました。子供の頃からあまり好きではありませんでしたが、歳を重ねても同じでした。娘婿は喜んで食べていましたが、娘も息子も私も少量ずつ手を付けただけでした。思い起こせば子供たちが幼いころから、おせち料理を出したことがほとんどなかったことが一因でしょう。食わず嫌いかもしれませんが、妻は「余ってもったいないから、もう頼まない」と言うほどですので、今年は反省しており、すでに注文していますので。しっかりと食べさせてもらいます。
23日に漫画家森田拳次氏が85歳でお亡くなりになりました。森田氏はちばてつや氏などと同様に旧満州引き上げを体験しました。私が子供の頃にテレビ放映されて大人気となった「丸出だめ夫」のことはよく記憶しています。最近なぜか主題歌を思い出して、「僕は丸出だめ夫くん、…」とよく口ずさんでたところでした。またYouTubeでその曲を聴いたばかりでしたから、驚いたとともに郷愁感を感じています。相棒の「ボロット」も懐かしい限りです。昭和がまた一つ消えました。合掌…。
自殺する子供が増えています。中学生、高校生だけではなく、小学生にも及んでいます。未来ある少年少女が、自ら自殺を選ぶような社会であってはいけません。昨年の自殺者数は全体で約2万1800人で、そのうち自殺した児童生徒は513人に上っています。これは過去最高だった昨年と同水準です。子供の自殺の原因は不明とされることが多いですが、私を含む大人が子供の悩みにもっと敏感になり、悩みを真剣に受け止める姿勢が不可欠だと考えます。子供の自殺という悲しい報告がない社会にすべきです。