毎日暑い日が続いています。日本列島は亜熱帯気候になってますね。さて今日8月6日は広島に原爆が投下された日です。毎年この日と長崎に投下された8月9日、終戦日の8月15日は我々日本人にとっては忘れられない特別な日ですが、私にとって今日は父の命日でもあります。また父が20年の癌闘病生活から解放された日でもあります。平成6年ですから、もう22年前のことですが、今でも鮮明に覚えています。当時病状が悪化して最期が近いと医者から言われたため、兄弟三人は休暇を取って父の入院する札幌の病院に集まりました。3日経っても病状に変化がないため次男は300km離れた赴任先に戻り、私と末弟も次の日には帰京する予定でした。その朝7時ころに母から父の容体が急変したとの電話が入り急いで駆け付けました。8時過ぎに病院に入ったところ、主治医が父に一生懸命心臓マッサージをしておりました。末弟が手でバッテンマークを私に出していました。血圧は30ほどに低下し家族の呼びかけにも反応がない状態でした。汗だくになって30分近くマッサージを続けていただきましたが、血圧は30前後から回復しませんでした。私は主治医に「先生、ありがとうございます。もう結構です」と告げてやめてもらいました。そのとき母が父に「お父さん、ありがとう」と泣きながら頬ずりをしたところ、血圧が急に80以上に跳ね上がりました。主治医がびっくりしてマッサージを再開したほどです。私は父の魂がまだこの病室に残っているのだと感じました。夫婦の愛は素晴らしいものだとも。しかし血圧はやがて再び30を切り、臨終宣言をされました。次男だけ臨終に立ち会えませんでした。この日は北海道でも30度以上の夏日でとても暑かったことを記憶しています。その夜は父の遺体の横で一晩一緒に寝て永久の別れと育ててもらった感謝を告げました。あれから今日で丸22年が経ち、幼子だった子供たちは成人して自分は孫がいる歳になりました。父が亡くなった歳まであとわずかです。時の流れの速さに驚きつつ、毎年この特別な日に亡き父に想いを馳せて感謝の念を送っています。