今やネット社会が日常生活の一部となり、その存在なくしては成り立たない点が多いのは事実でしょうが、ネット情報の節度ない拡散ぶりには首をかしげたくなりますし、またその情報を盲信し、振り回されている人が多すぎる気がしています。情報はあくまで情報であり、所詮不確かなものでしかありません。『百聞は一見にしかず』という言葉通り、自分で確かめられないことは判断の一材料に留めておくべきです。数年前の中国での反日運動の際にマスコミは毎日過激な報道を繰り返し、いま中国在住の日本人は大変だと述べていましたが、私はデモが起きた2日後にたまたまですが出張のため中国に行き、デモと打ちこわしが起きた蘇州の日本人街にも行きましたが、空港から上海の街中まで平常と何ら変わっていませんでした。蘇州現地の被害はそれなりでしたが、既にいつもの生活に戻っており、日本人の私が日本語を話しながら現場を歩いていましたが、だれも日本人である私に注目すらしませんでした。当時蘇州在住の金氏は「あのデモは出稼ぎの中国人がトラックに乗ってやってきて、2時間くらい暴れてまたトラックで帰って行った。それ以外は特に大きなことはない。あれは一部の人たちが扇動されて行っているだけだ」と言ってました。日本国内の報道とはほぼ真逆です。逆に中国には日本の東北大震災の被害が呆れるくらい大げさに伝わっており、誤った報道やネット情報に左右されている人が少なくないことを知りました。確かに情報は大切です。しかしその情報の真偽を疑うことなく受け止めてしまう人が少なからずいることに、警鐘を鳴らすべきです。『氾濫』と言っても過言ではないほどの情報過多の時代であるからこそ、情報を吟味・咀嚼する姿勢と客観的な見方・判断を取るべきではないでしょうか。