生徒達が問う勉強の目的に『我慢を知るため』と答えると綴りました。ではなぜこの質問をするのでしょう。実は生徒達は子供の頃は勉強しなければならないことを子供心ながらに理解しているのです。勉強する意味はないと真剣に考える子供は稀有です。嫌だけどしなければならないことは理解しています。それは親がしたくもない家事や仕事をしている姿を見て育っているからです。つまり世の中には、自分がしたくなくてもしなければならないことがあることを自然と悟っているのです。ですから勉強の必要性を問うても、それは一種の確認作業であり、意義を否定する大人がいてほしいという願望から問うのです。そこで私は『我慢』という言葉を投げかけます。ほとんどの生徒は納得します。それはなぜか…。To be continued …。