突然警察署から帰宅した父は、トイレに駆け込み出てきません。心配する家族に「大丈夫だ」と言い、「英樹早く行け」と言いました。自分はバスに乗り駅へ、そして国鉄(当時はまだJRではありません)を使って叔父の家に行きました。そして次の日に転校手続きをして、札幌の道内1,2位を争う進学校受験に向けてスタートを切ったのですが、父はその日に病院に行ったのですが、町医者では手に負えず大病院に搬送され、直腸癌と診断され即手術となりました。母は医師より相当進行しているため命に係わると言われたそうですが、私はそのことを知る由もなく、また教えるはずもありません。新たな環境に慣れるべく勉強していた自分を叔父夫婦は不憫と感じていたようです。父はしばらく入院生活でした。その間別の叔父が自分と会い、受験だけが全てではない旨の話をしました。当時私はなぜそのような話をするのか分かりませんでしたが、余命の件を知っていたその叔父は長男である自分に進学を諦めさせ、家庭のために働く方向を間接的に訴えたかったのでしょう。今から思えば何も状況を知らない自分は幸せだったと思います。しかし奇跡的に父は回復し、人工肛門を付けることなく退院することができたのです。そして受験は無事成功し、私は札幌の高校に進学しました。最初の半年は一人暮らしでしたが、その後父は転勤願いを出し、札幌の道警本部に転勤。札幌のベッドタウンであった江別市に引っ越したため私も合流して、再び親元に戻ったのです。高校1年の秋のことです。 To be continued