父は晩年母との国内旅行を楽しんでいました。後に事前に父は色々と計画を立ててノートに記していたと母から聞いた時、自分と全く同じなので改めて親子なのだなあと感じました。しかしその間、癌は進行してリンパ腺などに転移し始めました。発病してから20年、その間手術も10数回受けて生きているのが不思議なくらいでしたから、苦しみが長く続くくらいならとの想いもありました。一緒に暮らしていなかったので父の辛い姿を見ていないのが幸いだとも感じています。平成6年8月3日に危篤状態になったという知らせが母より入り、私と三男は関東から、次男は道内の広尾から駆けつけました。しかし父は意識がほとんどなくこちらとの会話はできませんでした。5日になり容態が変わらないため次男は広尾に戻り、自分と三男は明日まで変わらなければ仕事に戻ることに決めました。翌6日の6時頃病院の母から電話があり、急ぎ駆けつけましたが心臓マッサージを施されている状態でした。血圧がほとんどない状態にもかかわらず、30分以上大粒の汗をかきながらマッサージを施す医師に「先生、もう結構です」と伝えて処置を終えてもらい、父はあの世に旅立ちました。私と三男は臨終の場に立ち会うことができましたが、次男はできませんでした。いま父の墓は成田にあります。10年ほど前にこちらに墓を作って北海道より遺骨を持って来て納めました。いつも墓参するたびに心の中で父に色々と話しかけてます。亡くなって24年も経つのに父は今でも私の夢の中によく登場します。内容は覚えていませんが、つい先日も夢の中で父と話しをしました。私のことを心配してくれているのかもしれません。子供の頃は父とは似ても似つかぬ顔でしたが、最近は自分でもびっくりするくらい似てきたと感じています。父はいつも自分のそばにいて、自分のことを見守ってくれているのだと勝手に信じています。今日は父の命日です。亡き父を偲んで一日を送るつもりです。