円谷選手以外の思い出はどちらかと言えばその後に見た映像の記憶のような気がしますが、メダルを量産した体操と柔道は当時の選手名をまだ結構覚えています。前者ではお亡くなりになっていますが、3つの金メダルを獲得した遠藤選手の跳馬シーンは目に焼き付いています。また後者の柔道では無差別級で神永選手がオランダのヘーシンク選手に敗れ、「日本柔道東京に死す」とまで言われ、日本柔道界のショックは計り知れないものだったそうです。当時場内は静寂に包まれたそうですから、すさまじい衝撃だったのでしょう。その後も重量級で日本は苦戦を続けることになります。