先月GWの東北の旅で学んだ歴史の第2編です。青森県三戸町の三戸城を訪ねた際に資料館で南部氏の歴史と一戸から九戸までの地名の由来を初めて知りました。その際に登場したのが南部氏です。南部氏は武田氏と同じく清和源氏の分家で、新羅三郎義光公から数えて五代目の子孫の三男が南部氏の祖とされます。源頼朝の石橋山の戦いに与し、戦功を挙げたため甲斐国南部牧(山梨県南部町)を与えられました。その後奥州征伐にも従って功を挙げ、糠部五郡(青森から岩手県にかけて)を拝領しました。現在青森県にも南部町があるのはこの所以です。前者は南部発祥の地として、後者は豊臣から徳川の世に移る際、南部藩とも呼ばれる盛岡藩を与えられ、それぞれ発展しており、両町は今でも交流があります。このことも今回の旅で初めて知り感動しました。では上述の一戸から九戸の由来とは…。To be continued.